キツネ女の独りごち

片言のベトナム語を操りだす怪しい外国人枠でベトナムに住んでます

kfc独りごち

高度経済成長真っ只中、まさにDần dần phát triển なベトナムのナウなヤングはファストフードが大好きである。いや別に好きじゃないのかもしれないけど、ファストフード店にいくとどこかしこに学生がいる。日本と変わらぬ様相である。ちなみにファストフードはベトナム語でđồ ăn nhanhまたはthức ăn nhanhという。早い食べ物…そのまんまやないか。時々ベトナム語にはこういった、そのまんまやないかシリーズがぶっ込まれている。

 

閑話休題ベトナムのKFCには米メニューがある。米とチキン。米とチキンとコーラ。米。こんもり盛られたごはんに謎のソース(これが全く美味しそうに見えない)がかかり、大人のこぶしほどある大きなチキンがひとつ。それで41k、およそ200円だから、飢えた学生はそりゃあ集いますよねって話。でも路上ならがっつり食べてもせいぜい50kで済む。どちらを選ぶかという話である。

ベトナムKFC、チキンには必ずナイフとフォークがついてくる。私は未だにこの店における、ナイフとフォークの使い方を把握しきれていない。KFCといえば、手づかみで豪快にほおばり、指についたスパイスをペロリとするところまでが様式美だと私は確信しているのだが、なぜファストフード店でナイフとフォーク(しかも金属製)が出されるのだろうか。手を使って食べるような蛮行は断じて許さないという強い意志の表れなのか。手でいくべきかナイフで切るべきかと逡巡しながら食べるため、手で持ち上げてナイフで切るとか、ナイフで切ったものを手で食べるだとか、なんとも中途半端で滑稽な姿を晒してしまう。これでは文明の利器を使いこなせない猿そのものではないか。

ここで私の勝手な考察を加えると、これにはベトナム人の「清潔観念」が関係していると思う。食前に手を洗ったり拭いたりすることも増えてきたものの、まだ稀である。自分の手でさえも信用していない部分があるように感じる。バイク移動バス移動で、思った以上に手が汚れるので無理もない。まあ、私の勝手な推理です。

とはいえもちろん手を使って食べる姿もみかけるわけで、ますますナイフとフォークの存在意義に疑問を抱く私であった。

 

一時期、「KFCのチキンの骨から大量のウジ虫が出てきた」という衝撃的なフェイスブックの投稿がベトナムを騒がせたが、それでもまだまだナウなヤングのファストフード利用率は上がり調子だ。ベトナムKFC、日本とは質が大きく異なりカリカリクリスピーなチキンがやみつくになる。何なら日本のものより私は好みだ。年寄りの胃にはなかなか堪えるものがあるので、気合を入れて店に入らねばならないが。

サパ独りごち

週末を利用し、サパに行ってきた。まあサパに行くまでにかなりすったもんだがあったが、それでもサパに行ってきた。

ここからサパへは寝台バスで行くのがメジャーで、バスもピンキリあるが、総じて言えるのは、バスが横転でもした際には全員死ぬであろう、ということだ。三列×二段の寝台席にすし詰めになってサパに向かう。奴隷船のような乗り物である。ちなみに今回は満員だったので、なんと通路にも寝ている人がいた。これで切符代が他の人と同じだなんて、私だったら納得いかないが、ベトナムではさもありなんといったところなのだろうか。

そもそもなぜベトナム人は並ぶということを知らないのか?発展途上にあったかつての中国でも、並んで順番を待つという文化がなかった。その後文化が発展した中国では、昔に比べて並んで待つ人が格段に増えた。北京オリンピック開催が近づいたころの、国民ひとりひとりの啓蒙活動によるもので、これをきっかけに中国人のモラルは格段に上がったと私は感じている。

うがった見方ではあるが、発展途上のベトナム人にはまだ、並ぶことによって他人に不快感を与えることなく自分の目的も達成されるので、結果的にどちらも得をする、ということが理解できないのだろうか。先日コンビニに水を買いに行きレジに並んでいると、女子大生どもがわらわらと横から入ってきて順番を抜かされ、たかが水一本買うのに数分を費やし、恋人に「帰ったかと思った」と言われたことがあった。とにかくこの、並ばない文化は日本人にとっては受け入れがたい。

しかもベトナム人は自分たちに過剰とも言える自信を持っているので、私ごときがそれを指摘したところで、彼らは口を揃えて「それがベトナムだから」だの「人によりけり」だの言う。諸問題を自分のことに置き換えて考えるのが本当に苦手な人たちだとつくづく思う。そんなことで自国の発展を続けていくことができるのだろうかと片言外国人枠から心配している。

余計なことを熱く語ってしまったが本題に戻ろう、奴隷船は無事に夜中の3時にサパへ着いた。恋人はテンションが上がってしまったのか、朝までバスで寝る計画をすっかり忘れて、バスから降りて散策しようと言う。夜中の3時に旅人を受け入れてくれるスポットがいったいどこにあるというのだ、ましてや少数民族の地、サパに。ぐるりと一周したけれど案の定何もなくて、しかもバスは扉をしめてドライバーともども就寝していて、完全に締め出されてしまった。この極寒の地で何をしろというのか。恋人の計画性のなさと自分の流されやすい性格にいらだちを隠せないまま、サパの旅はスタートしたのである。つづく

失くしものの独りごち

腕輪を失くした。

恋人からもらった大切な腕輪だったのに、外れたことに気づかなかった。

本当にショックで悲しくて、彼に何度も謝った。彼はただ、Của đi thay người とか、không sao cả! とか言う。của đi thay người ってのは、あなたの代わりにモノが逝ってくれた、つまり厄落とし的な意味の言葉である。彼はベトナム人で、しかも私からすれば仕事なのか何なのかわからないようなことで金を得ている。率直に言えば貧乏人である。どう考えても彼より私の収入の方が上なのだが、彼は一度たりとも金の無心をしたことがない。そればかりか、いつも支払いは彼の担当で、申し訳なくなる。

しまった彼の話が長くなってしまった、とにかく腕輪を失くしたショックが大きくて、私はしばらく落ち込んでいた。しかし落ち込んでいても仕方がないので、失くした場所に赴いてみた。もしかしたら落ちたままかもしれない、という、いかにも日本人的な平和ボケ思想を抱いていたのだ。

 

しかしまあ、当然というか何と言うべきか、見つかることはなかった。なんでもベトナム人は、落ちているもの、拾ったものは、たとえ他人のものでも身につけてしまうらしい。その思考回路は到底理解できるものではない。一言で言えば、気持ち悪い。他人の手垢のついたもの、まして拾ったものを身につける図太さはさすがとさえ思う。

 

出てくることのないvòng tay のことを思い出しては、落ち込む日がしばらく続いた。恋人は「また買ってあげるから」となだめるが、私はあの腕輪でないと嫌だ。

Của đi thay người...モノが身代わりになってくれた、日本語だと厄落とし的な。モノがなくなった人に対してかける言葉

 

もし身につけてる奴がいたら腕ごと切り落としてやる、と今日もすれ違うhot girl どもの腕をガン見する私であった。

 

 

ベトナムバスの独りごち

ベトナム人の足と言えば、もっぱらxe máy、バイクなのだが、片言外国人枠でベトナムに上陸している私は、バイクの所有を許可されていない。(バイクに乗る外国人はだいたいが何かしらのグレーゾーンに所属している)

 

そこでバイクの代わりに私の足となってくれているのが、公共バスだ。乗車1回7000ドン(路線により少し値段が上がる)で、市内の主要なスポットならだいたいどこでも最寄りのバス停がある。ベトナム人に言わせれば、xa và bất tiện lợi, có ai dám đi bằng xe máy ko !? らしいが。

 

このバス、揺れまくり混みまくりスラれまくりの、おまけに乗客が突然の嘔吐をはじめるなど環境が良いとは決して言えない。当然、清潔とは大いにかけ離れている。さらに渋滞によくハマるため、時間が全く読めない。そのため、健康で文化的な生活を送る滞在日本人からはことごとく評判が悪い。

が、日本でギリギリ人間としての生活を送っていたような人種の私からすれば、じっとしているだけで目的地まで運んでくれる夢のような豚小屋である。

 

さてそんな公共バスに、このたびBRTなるシリーズが爆誕した。いわゆるxe buýt nhanhである。鮮やかなグリーンの車体に大きな窓が特徴のバスである。

BRTには専用の駅があり、乗客は駅構内でバスを待つことができる。土砂降りの雨に打たれながら瀕死でバスを待つ地獄のような時間ともサヨナラである。

このバス、なんと電子改札を通ってバスを待つ。代金を支払うと、QRコードの印刷されたレシートを渡される(定期の場合はQRコードのステッカー)そのため、車内にはモギリ役の乗務員がいない。彼らこそがベトナムの公共バスのマスコットキャラ的存在だと勝手に思っていただけに、モギリのいないバスはいささか殺風景にすら感じる。バスが到着すると、都会の地下鉄よろしく、駅側の自動ドアが開き、床からステップがにょきにょき伸び、バス側のドアが開いてめでたく乗車と相成る。なんとも近代的!さらにバス車内は驚きの清潔さ。心揺さぶるものがある。

しかしモギリと運転手の軽妙なトークがなくなってしまったうえに、運転手の裁量でかけられる爆音ミュージックや爆音ラジオはここではめっきり聞かれない。運転手はただひたすら車を走らせるのみとなってしまい、運転手が精神を病むのではないかと内心心配している。

 

とはいえこのバス、渋滞知らずで本当に早い。さすがはnhanhの単語を背負っているだけある。BRTの駅周辺はまだまだ開発途中で、あまり面白いスポットはないのだが、通勤快速だと割り切れば、こんなに便利な乗り物はないと思っている。

 

最初の日記がこんなに冗長で、いかにも張り切った感じがして恥ずかしいが、これからもちょくちょくベトナムでの発見を書き残していこうと思う。